理学療法士→青年海外協力隊→日本で臨床をしながら緊急援助について学ぶ(現在)→大学院?→国際協力をライフワークに
2011年3月11日より発生しました東日本大震災において、犠牲になられた方々に心よりご冥福をお祈り申し上げます。 また被災された方々に対しましては、お見舞い申し上げるとともに、一日でも早くの復興を応援・支援させていただきます。
2016年4月16日より発生しております熊本地震において、亡くなられた方に心からご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆さまにお見舞い申し上げます。

<祝>当ブログの読者Y.Kさんが青年海外協力隊(24-1 モンゴル)に合格した、という非常に嬉しい知らせを受けました。おめでとうございます。
<祝>当ブログの読者で青年海外協力隊を目指すMIDORIさんが理学療法士国家試験に合格した、というおめでたい知らせを受けました。もう同じ臨床家です。お互い頑張りましょう。
<祝>当ブログの読者KENJIさんが青年海外協力隊(25-2 タイ)に合格した、というまたまた嬉しい知らせを受けました。おめでとうございます。
<祝>募集説明会で体験談をお話させて頂いた方2名も青年海外協力隊(モザンビーク、ベトナム)に合格したと再会時に報告がありました。おめでとうございます。
<祝>2013年JOCVリハネットセミナーで私の活動報告を聞いてくださったA.Kさんも青年海外協力隊に合格されました。おめでとうございます。
<祝>国際緊急援助隊に当ブログを見て興味を持って頂いたOTさん、青年海外協力隊説明会でお会いしていたOTさん、フェイスブックで私を見つけて質問して頂いたPTさんが仲間入りしました。みなさん青年海外協力隊経験者でした。

青年海外協力隊  体験談&説明会
  *当ブログの作者(ドミニカ共和国、理学療法士)は今回の春募集では体験談を話に行くことができませんが、興味をお持ちの方はぜひお越しください。私に質問がある場合は、関連する記事のコメント欄に質問いただければ、回答いたします。

国際緊急援助隊(JDR)医療チームへの参加に関心のある方へ
  *JDR医療チームはWHO EMT InitiativeのType2認証を受けており、リハビリテーションの提供が求められるチームとなっています。理学療法士・作業療法士で関心のある方、仲間が増えるとうれしく思います。

2012年11月27日火曜日

ステップアップのためのステップダウン

 もう派遣されて15か月になります。この間に、ドミニカ共和国の理学療法の質の低さを目の当たりにし、どのようにしたら改善されるのか日々考えてきました。しかし、答えは出ません。答えが出たと思ったら、その答えが違うことに気づき、また考え直す、という繰り返しの日々です。

<マンパワーになりながらでも地道に教えていこう>
 派遣前は、現地の人々と共に働き、ドミニカ共和国に足りないものを見つけ、直接指導し、理学療法の質を上げていこうと考えていました。一緒に働かないと、現地の人と同じ目線に立たないと問題は見えてこないと思い、マンパワーでもいい、という覚悟でした。

<大学教育を変えなくては>
 しかし派遣後、活動を初めてすぐ、現地スタッフの技術レベルの低さももちろんですが、基礎知識の欠如が指導の大きな妨げになりました。個別に少しずつ教えていけばよい、と思っていたのですが、個別では到底追いつかない莫大な基礎知識を教えないといけないことに気づきました。大学での教育レベルの向上が必要だと感じました。

<国語・算数もできないんじゃ話にならん>
 ドミニカ共和国には様々な職種のJICAボランティアや専門家が派遣されています。小学校教諭として派遣されているボランティアの話を聞いたとき、大学教育はもとより、初等教育から質が低いことを知りました。学校の先生が分数の計算を理解できない、分度器の使い方が分からない、というレベルです。
 大学の理学療法士学科に入るためには入学試験がありますが、数学の点数が悪くても、大学で数学の授業を受ければいいらしいのです。つまり、入学者を選ぶ試験ではなく、入学者の入学後の必須科目を決めるための試験なのです。初等教育の質向上が必要だと感じました。

<でも何とか現状を変えなくては>
 「教育が悪いからだ」と結論づけると、理学療法士にすることはない、ということになってしまいます。しかし、何もしないわけにはいきません。目の前に患者がいて、理学療法という名のものが患者に提供されているのです。よって、「医原性障害をできるだけ減らす」という目標を立てました。そのためには、愛護的に・丁寧に触る、関節を傷つけないよう運動学に基づいて動かす、理学療法士の体全体を使うなどの運動療法の基礎を教えようとしました。これらは各種の関節運動学的アプローチ(AKA)の基本概念としても知られています。
(*日本はAKAを基に改良を重ね、新たな知見を加味した診断・治療技術としてAKA博田法というものがあります。)

<スタッフの変化に手ごたえ>
 運動療法の基礎や触り方・動かし方などを指導したのですが、多少の改善はあるものの臨床で使えるレベルには決してなりません。それでも、指導したスタッフの仕事は丁寧にはなりました。下手でも丁寧にすることは非常に大切だと思います。丁寧に仕事をすることが上達への近道だと思い、指導を続けようと思いました。

<「日本では…」と言い続けていいのか?>
 ドミニカ共和国の理学療法の質は低い、と繰り返しこのブログでも書いてきましたが、では日本の理学療法の質は高いのか? と考えることがありました。友人の話や自分の目で見たことなどを総合すると、正直な所、「ドミニカ共和国の理学療法士と同じレベルの理学療法士が日本にもいる」と言わざるを得ません。もちろん素晴らしい理学療法士もいます。しかし、JICAボランティアに応募する理学療法士の中に、能力のない理学療法士が混ざってくる可能性があるのです。
 よって、日本においては、理学療法士の質の向上をこれから更に推し進めていかなければいけないと考えます。国際協力を志す理学療法士に、きちんとした知識と技術を身につけてもらわないと、今のままでは能力のない理学療法士が国際協力に携わることになると思います。

 こういう事を書いている私ですが、私自身、能力のある理学療法士とは言えません。理学療法の基礎ですら教えることができません。上辺だけの知識と、それに基づいた技術で仕事をしていたことが、ドミニカ共和国での経験ではっきりしました。日本に戻ったら、理学療法、すなわち運動療法・物理療法・基本的動作訓練について、基礎から勉強をし直そうと思います。ステップアップのためのステップダウンです。

2012年8月30日木曜日

ドミニカ共和国でのAKA博田法の紹介

今年に入って、少しずつ進めてきた「関節運動学的アプローチ博田法 第2版」と「DVD版 関節運動学的アプローチ博田法 第2版」のスペイン語翻訳ですが、現在68ページまで内容を増やし、そして今もまだ追記・修正を重ねています。これを印刷して職場で使うことは、著作権の問題でできませんので(協議の結果、著作権使用料が発生することになりました)、今は私がこちらでAKA博田法を紹介する際の台本的な役割を担っています。この翻訳資料ですが、完全な翻訳ではなく、AKA博田法の「紹介」のための翻訳ですので、内容は原著の4分の1程度だと思います。
 まだまだ改良の余地のある翻訳資料ですが、3月から理学療法士への技術移転に活用しています。毎日30分、3人の理学療法士に集中的にAKA博田法の技術を紹介しています。副運動と構成運動の技術を全て紹介し、習熟度確認テストを行い、修了するまでに3か月程度かけました。そして現在は、2期生として3人に技術移転を行っており、間もなく修了します。
 こうして草の根的に人材育成をし、今後、さらに大規模にAKA博田法を紹介する際に、アシスタントとして手伝ってもらおうと考えています。「標準化=仲間作り」(→前回の記事「国際標準化」を参照)と言われるように、啓蒙活動をする前に、啓蒙活動に協力してくれる人を作ることから始めています。
 技術移転を毎日コツコツ行っていると、いろいろな人の目に触れ、先週からドクター向けの紹介コースも実施しました。彼らドクターはPTの処方箋を書くので、今後、処方にHakata método(博田法)と書かれる日が来ると思います。ドクターを仲間に取り入れられた事は、AKA博田法普及の大きなステップです。次に繋げるための働きかけを考えようと思います。
 また、今、来年2月にドミニカ共和国のPT・OT・POを集めて学会を開こう、と計画しています。その中の一コマにAKA博田法の紹介を組み込む予定でいます。
 さらに、来年の6月に、中米カリブ諸国に派遣されているPT・OTのJICAボランティアに声をかけ、現地PT・現地OTをドミニカ共和国に召集させ、AKA博田法を学ぶ機会を設けたいと思っています。
 私がドミニカ共和国での任期を終了し、帰国後は、また別の方法で中米カリブ諸国にAKA博田法を普及させる仕事をしたいと思っています。今はそのための仲間作りと、資料作りと、経験の蓄積が私の主な仕事です。

2012年7月27日金曜日

国際標準化

大阪工業大学
 日本には世界に誇る技術がたくさんあります。国内だけでも大きな市場ですから、外に目を向ける傾向があまりなかったせいか、世界に誇る技術も日本国内に留まっていることが少なくありません。平松幸夫氏(大阪工業大学教授)は「国際標準化は仲間づくりである」と述べていますが、この仲間づくりをする人材が日本には不足しています。ですから、日本の技術を国際的に標準化しようと思ったときに、他国へ提案しても、すでに別の標準で仲間づくりが行われていたり、拒絶反応を示されたりするのです。他の国を見ると、標準化に携わる人材の育成を長期的に行っているところが多いそうです。日本の企業では2年程度で異動があったりして長期的な人材育成ができない環境にあります。「日本は特許申請数では世界一なのですが、有効な特許が少ない」と言われるのも、この辺りが原因なのでしょう。
 現在、私は、日本発祥の物理医学の理論・技術「関節運動学的アプローチ(以下AKA)博田法」を海外でも普及させようと活動しています。ターゲットはスペイン語圏の約20か国の医師・理学療法士・作業療法士です。しかし、このAKA博田法は、日本が世界に誇るべき技術なのですが、日本で広く認められているかというと、そうではありません。AKA博田法の理論や技術が優れていることを知っている医療従事者は、その治療効果を目の当たりにし、肌で感じ取った人のみで、そう多くはありません。既存の技術を用いて働いている人で、AKA博田法を教科書や噂で聞いた程度の人にとっては、受け入れがたいものです。
 平松氏は国際標準化について「研究・開発の段階から、世界各国と共同することが望ましい」と述べています。これは国内での標準化でも同様でしょう。「研究・開発の段階から、関係機関と共同すること」、例えば、研究機関・教育機関・医療機関などと早くから連携し、仲間をつくることで、拒絶反応をなくすことができると思います。AKA博田法に関してはこれが不十分だったのではと考えます。
 昨日の日経の経済教室で平松氏は、開発には3つのステップがあると述べていたそうです。(参考→日本のガラパゴス現象を問う)1「要求条件の明確化」、2「要求条件を満たすための基本構造の設計」、そして3「技術開発」です。日本はこの3つのステップの内、最初の2つのステップを踏まないで、いきなり技術開発に入ってしまう、という話でした。AKA博田法も3つ目のステップにのみ心血が注がれたのだと思います。
 今後、AKA博田法を日本のみならず海外にも普及させるために、ステップ1、とステップ2について考え直し、長期的な人材育成を行い、仲間を増やしていきたいと思います。

2012年7月16日月曜日

翻訳本の作成と、著作権

翻訳こんにゃく欲しいです。
 JICAボランティアとしての活動には、現地の人と一緒に働くこともありますし、指導・教育の立場に立つこともありますし、ある目的のためにモノ作りをすることもあります。私は、指導・教育と、そのための教材・参考資料作りが日々の業務の多くを占めています  最近まで詳しく知らなかったのですが、私たちが何か;例えば、音楽やムービー、絵や写真、文章などを作ると、作った瞬間から自動的に著作権が発生します。手続きは必要ありません。ですので、自分が作ったものを他の人が複製、転載、配布などをする場合には、著作者に許諾を得ないといけません。つまり、ボランティアが活動で作ったものを、JICAが別のプロジェクトで使用するためには、作ったボランティアに毎回、使用してよいか問い合わせる必要があります。それをJICAは回避するために、次のような内容を含む合意書をJICA-ボランティア間で結びます。

甲:JICA
乙:ボランティア
(知的財産権)
第10条 乙が、派遣前訓練又は海外協力活動上作成した視聴覚情報や報告書等の一切の成果品の著作権(著作権法(昭和45 年法律第48 号)第27 条、第28 条所定の権利を含む。)は甲に帰属する。乙は、甲による成果品の利用及び改変に関して著作者人格権を行使しないものとする。また、甲は乙の事前の同意なく成果品を一般に公開することができる。
2 乙は、派遣前訓練又は海外協力活動において、第三者の著作物を利用する場合、乙は当該著作物の著作権者との間において、自己の責任で、著作物の利用許諾を受けるものとする。
3 乙は、当該海外協力活動において、発明、考案又は新品種育成等を行い、派遣期間中又は派遣期間終了後に、特許、実用新案又は品種登録その他の知的財産権の登録又は設定に係る出願を行おうとする場合には、予めその出願の可否及び出願の内容について甲と協議することとする。

 これによって著作権はボランティアからJICAに移ります。例えば私が、日本の理学療法を紹介するビデオを作ったら、JICAはそれを別のボランティアに提供して活用させたり、別の言語に翻訳したり、一般公開したりできるのです。これは、ボランティアの成果を他でも活かし、よりよい国際協力を、よりスピーディーにするために必要なものだと思います。
 しかし、ボランティアが作成したものが「二次的著作物」の場合には、権利関係が少し複雑になります。二次的著作物とは、第三者の著作物を元に作ったものです。例えば私が、日本で出版されている本を、スペイン語に翻訳し、図や写真も元の本から転載した、翻訳本を作ったとします。その翻訳本は二次的著作物と呼ばれ、それにも著作権は自動的に発生します。誰に著作権が発生するか? スペイン語に翻訳した本文は私、転載した図や写真は元の著作権者、ということになります。また元の本の著作権者が持つ権利と同様の権利が、二次的著作物にも存在することになっているので、私に発生しているスペイン語の本文の著作権は、元の本の著作権者にも同様に存在します。
 なぜ、今回このような話をしているかというと、まさに今、日本で出版されている本をスペイン語に翻訳してドミニカ共和国の理学療法士の教育に用いようとしているからです。なので、この記事で著作権のことを分かりやすく書こうと思ったのですが、文字で書くとどうしても複雑になってしまいましたね。
 先ほどの例のように、翻訳本を作ったとすると、ボランティアの分の著作権はJICAに移ることになっているので、著作権者は「元の本の著作権者」と「JICA」ということになります。よって、JICAはこのボランティアが作成した翻訳本を使用する際には、毎回元の本の著作権者に許可をもらう必要があります。これでは、もともとの合意書の目的を果たせません。JICAが自由にスピーディーにボランティアが作ったものを再活用するための合意内容だったのですから。
 また、今作っている翻訳本は、私が日本に帰ってからも仕事で使用する可能性もあります。その場合、JICAに著作権が移っていると、作成者である私が、(元の本の著作権者に許可を得るのはもちろんのこと)JICAにわざわざ許可を得る必要がでてきます。
 著作権に関する合意内容は、JICAにとっても、私にとってもメリットのないものになってしまいますので、JICAに相談して、「活動上作成した成果物」として取り扱わないことで、著作権譲渡の対象外になりました。
 現在は、翻訳本を作成するにあたり、元の本の著作権者からの許可を得るために、日本の出版社とやり取りしている段階です。無事、発行できることを願うばかりです。

2012年6月27日水曜日

折り返し

派遣されて、もう(? やっと?)1年が経ちました。左コラムにあるカウントダウン時計も「あと365日」と表示しています。同期のみんなも元気にやっているでしょうか? FACEBOOKやSKYPE、メールなどでみなの様子を知れますが、それでも全員を把握することはできません。平成23年度1次隊が、みな無事に任期を全うし、達成感で満ちた素晴らしい顔で再開できることを願います。
 さて、私の方は、1年経ち、やっと技術移転が軌道に乗ってきたかな、という段階に来ました。これまでは、知識や技術を「押し付けている」感がありましたが、最近は「学びたい」という人が集まってきてくれるようになりました。やりがいが出てきて、毎日が楽しみに思えるようになってきました。
 「押し付け」指導を行っているときは、「こんなことやって意味があるのか?」や「なんやその態度は!」と日々感じていましたので、ストレスも大きかったです。しかし、そんな時でも、周りからは「頑張ってね」と言われるので、更に辛い時期もありました。一時期体調を崩したのも、ストレスが一つの原因だったんだろう、と思います。
 残り1年で、できるだけ多くの理学療法士に技術移転を行いたいと思います。また、今後派遣されてくる理学療法士や作業療法士、義肢装具士などとも協力して、いろいろなことをやりたいと考えています。そして、この国の理学療法がより良いものになるための援助の仕方を再考したいと思っています。けど、その間に一度、日本に戻ろうと計画しています。心と体のリフレッシュと、理学療法士としての知識と技術のリフレッシュを兼ねた一時帰国にしようと思います。チケットはもう取ってしまいましたので、大変な時も「これを乗り越えたら日本だ」と思いながら活動することにします。航空券は往復で12万6千円と比較的手頃なのが手に入りました。
 さあ、もうひと踏ん張り!

2012年6月2日土曜日

周囲の安全確認

 先日、JICA事務所で、ボランティアによる中間・最終報告会と、現地警察官(安全対策クラーク)および大使館の安全対策官による安全対策連絡協議会がありました。報告会は年に4回、安全対策連絡協議会は年に2回、実施されています。
 安全対策連絡協議会では、最近の犯罪手口やその対処法などが紹介されました。その話の中でこういう内容がありました; 「道で倒れている人がいたら、近づいてはいけない」。私は最初、理解ができませんでした。傷病者を発見したら、自分の持つ知識・技術を総動員してファーストエイドに当たらないといけないと考えていました。意識がない、呼吸がないなど、重体の場合は救命処置を行い、人命救助を行うことがバイスタンダーの責務だと思っていました。それなのに、なぜ?? なぜ救命活動を行ってはいけないの?? 派遣前訓練や派遣後のセミナーでBLS(一次救命処置)を、JICAは私たちに学ばせていたのに!?!? 私は医療従事者として、苦しんでいる人を見て見ぬ振りすることはできない、と思い、モヤモヤしながら話を聞いていました。
 日本にいる時に、私は外部のBLSの研修を何度か受けていました。ダイビングのストレス&レスキューコースでも再び学んだり、前述のように派遣前訓練やドミニカ共和国でも学びました。傷病者がいたら、意識の確認をし、呼吸の有無を確認、呼吸がなければ次は・・・、など繰り返し訓練してきたのに、「傷病者には近づくな」と言われると、これまで学んだ事はなんだったんだ、となってしまいます。
 けど、私が忘れていたのは「ここはドミニカ共和国」という事と、救急活動で最優先すべきは「自分自身の安全」という事でした。この国の最近の犯罪で、傷病者を装った強盗事件があったそうです。銃の所有が認められている国であるので、銃による傷害事件や殺人事件も頻発しています。傷病者を発見したときに最初にすべき「周囲の安全確認」がこの国では難しく、傷病者に安易に近づくと危険なことが起こりうるのです。例えば、傷病者が麻薬犯罪の関係者で、あるトラブルから銃で撃たれた、という事件があったとすると、不用意にその被害者に近づいた者は、仲間か何かに勘違いされ、同じように銃で撃たれる可能性もあるのです。日本では周囲の安全確認と言えば有毒ガスの有無や、落下物のある可能性など、周囲の「物」に関する安全確認のみで良いと思いますが、ドミニカ共和国では周囲の「人」および傷病者の中に危険な人がいないかの確認が必要です。これは、目の前で卒倒するなど、状況がはっきりしている場合でなければ困難です。
 人が倒れていてもすぐに駆け寄れないのは、治安の悪い国では、自身の安全のためには仕方がないことです。救える命があったとしても、状況不明の場合なら、その場から離れることが正しい選択だと思います。
 治安と救命率を比較検討した研究があるのか、気になるところです。新たな興味が生まれた一日でした。

2012年5月29日火曜日

健康管理

現地顧問医のいる病院
体は丈夫な方だと自負している私ですが、今月、謎の咳に悩まされ続けています。10日ほど様子を見ましたが、咳はひどくなる一方だったので、受診と療養目的で任地から首都に上がりました。ドミニカ共和国のJICAボランティア間では、「1年経った辺りから、みな体調を崩し始める」とよく言われています。私もそろそろ派遣されて1年、例にもれず体調を崩したというわけです。
 JICAボランティアは病気になった際、現地顧問医のいる病院で診察を受けることができます。ボランティアはみな保険に入っていますので、自己負担はありません。現地で検査・診察を経て、治療が開始されます。現地顧問医だけでなく、JICA本部の顧問医にも相談ができるシステムがあります。現地や日本の顧問医とボランティアの間に入り、診察などがスムーズに実施されるようにサポートしてくれるのが、在外健康管理員やボランティア調整員です。今回、健康管理員が日本に一時帰国中だったため、調整員の方にお世話になりました。
 ドミニカ共和国でも診察の流れは日本とほぼ同じです。診察→検査→治療→フォローアップです。しかし、この流れに無駄が多いのがドミニカ共和国です。血液検査をして「次の日また来てください」と言われ、また別の日にX線検査をして「次の日また来てください」と言われ、検査結果を受け取りに行くと「まだ出来ていないので○時にまた来てください」と言われ、診察に行くと「検査を一つ忘れていたので、もう一度○○へ行ってください」と言われ、何度も何度も病院と隊員連絡所を往復しました。交通手段はタクシーなので、医療費は自己負担がないとは言え、交通費で貴重な生活費がたくさん消えていきました。
 今回の私の症状は、持続する咳と痰だったのですが、なぜか副鼻腔のX線を取られて「副鼻腔炎ですね」と言われました。鼻汁(鼻水)や鼻閉(鼻づまり)などの副鼻腔炎に典型的な症状は何一つないのに、副鼻腔の検査をされ、ちょっと滲出液があるからという理由で副鼻腔炎と診断され、「はい、お大事に」というお粗末な診療に、かなりガッカリしました。しかし、これがドミニカ共和国の現状ですし容易に予想できていたことです。途上国で、血液検査やレントゲンが撮れるだけでも優秀な方だと思わないといけません。
 幸い、自然治癒力でかなり咳は減ってきています。一番ひどい時は咳嗽失神を起こすのではないかというくらい、激しい咳とその後のめまいに苦しみました。咳は周りに迷惑をかけるし、誰かいると咳を我慢しようとして余計に辛かったので、早い時期から隊員連絡所での療養を勧めてくれた調整員の方に感謝です。(ただ、連絡所はボランティアみんなの施設で、なかなか一人で療養、という訳にはいかなかったですが)
 今日から本当は職場復帰したかったのですが、もう1週間療養することにしました。せっかく休みをもらって療養しているのに治りきらずに職場に戻るのも迷惑だろうし、任地に戻るための長距離バス(冷房が強烈に効いている)で悪化するとダメだし、いつも職場でしているデスクワークは、首都でもできる、という理由です。という訳で、療養しながら仕事をしています。

2012年5月19日土曜日

チーム医療

チーム医療という言葉は、日本にいた頃から知ってはいました。しかし、実践していたかというと甚だ疑問です。と言いますのも、振り返れば日本にいた頃は血気盛んで、「自分が一番偉い」なんて思っているような男でしたから、人に意見することはあっても、人に意見を求めることなどほとんどありませんでした。ただ、医師や自分の尊敬・信頼できる先輩などには意見を求め、患者安全やより良い医療、および自分自身の知識・技術の向上に資するようには努めていました。つまり、自分の知りたいことだけを尋ね、そうでないことは相手にしない、という自分勝手な働き方をしていました。
 逆に誰かに何かを尋ねられたときは、偉そうに理学療法士の世界でしかあまり耳にしないような単語を並べ、話していました。今思えば、理学療法士同士にとってもきちんと通じるような言い方をしていたのかと疑ってしまいます。自分自身の当たり前を、相手にも押し付けて、あたかも「分からない方が悪い」というような口振りだったと思います。
 そのような理由で、私に話しかけてくれる人はほとんどいませんでした。また、社会に出ると多少の理不尽な出来事を経験することがありますが、それらを全て、全力で批判したり改善を求めたりして、いろいろな部署ともめ事を起こしていました。それにより一層、要注意人物になっていました。
 チーム医療とは、「互いの能力を最大限に発揮するために互いの理解を深め、共通言語を用いて患者のために議論し、同意を得られた内容に基づいて、患者も同意のもと看護・治療を行うこと」だと私は考えています。どのプロセスにも対話が不可欠であります。日本にいた頃の私に欠けていた要素です。
 ドミニカ共和国に来て、チーム医療の重要さを改めて認識し、将来は、理学療法士と他部門の良い連携を築けるようなコーディネーター役、システム作りをしたいと思っています。以前の私のような問題児も、見捨てず上手く教育する体制を作ったり、対話の妨げになる要素を分析し対策を取ったりすることで、より良い病院、より良い医療、より一層の患者安全、より高度な人材育成ができればいいなと思っています。
 そのために、理学療法士として働きながら看護師・保健師の資格を取り、数年、看護師および保健師としても働き、それぞれの現場を知りたいと思います。そしてどこかのタイミングで、医療経営や管理学が学べる公衆衛生大学院で、専門的に学びたいと思っています。
 かつての問題児が、このような志を持ったのも、ドミニカ共和国に来て、チームで働くことの大切さに気づき、過去の自分をじっくり振り返ることができた、というきっかけがあったからです。
 JICAボランティアのキャッチコピーに「世界も、自分も、変えるシゴト。」というものがあります。派遣前には、「世界は変えるが、自分は変わらない。自分は今までやってきたことを引き続きすればいいだけだ」などと考えていました。全く、自分勝手なものです。

2012年4月15日日曜日

AKA博田法と私の5年間

4月になり理学療法士として6年目の年度を迎えました。理学療法士として働き始めて丸5年が経過したのです。この5年、非常にいろいろな事がありました。
 1年目、就職してすぐAKA医学会理学・作業療法士会に入会しました。そして同じ年に大阪で行われたAKA博田法の基礎コース(10日間でAKA博田法を一通り全て勉強するコース)に参加し、AKA博田法の世界へ入って行きました。
 AKA博田法とは、日本人医師博田節夫氏により開発された物理医学における診断・治療の技術であると同時に、運動療法を行うための技術です。理学療法の技術には非常に多くの種類がありますが、日本発祥の医学的に体系づけられた技術というのはAKA博田法以外に存在しません。
 1年目の試用期間が終わり、有給休暇が取れるようになると、学生時代に実習でお世話になった先生のツテで、博田先生の診察・治療の見学に月1回、足を運ぶようになりました。また同じ先生のツテで、診療にAKA博田法を用いられている先生の勉強会へも参加させていただくことになりました。休みの日には研修会に参加したり、同級生や先輩の先生方と共に勉強会を行ったりと充実した日々を過ごしました。
 2年目も継続して博田先生の診察見学に行き勉強しました。AKA博田法の研修会や学会、勉強会などにも欠かさず参加しました。臨床でもAKA博田法を使用していました。しかし、この頃、同僚からAKA博田法ばかりで周りが見えていない、という忠告を受けました。他の手技を知った上でAKA博田法を選ぶのなら良いが、他を何も知らないでAKA博田法に集中しているのはどうか、というアドバイスでした。当時の私はアドバイスではなく批判に聞こえましたが。
 3年目には、AKA博田法を補完する技術であるANTの基礎となる「関節神経学」に興味を持ち、学問的に深く学べる機会がないか探し始めました。2年目の時にアドバイスをくれた同僚の影響で、大学院で関節神経学を研究できる所を探しました。しかし、研究がストップしてしまっている分野であり、諦めることになりました。
 4年目には、高校生のときからの目標であった国際協力に向かって行動を始めました。JICAボランティアの要請書に書かれている経験年数3年以上という条件をクリアしたからです。職場の事務との話し合い、労働組合との話し合いなど努力しましたが、退職してのボランティア活動という形になりました。いつからか「AKA博田法を世界に広めることが夢」と周りに語るようになっていました。
 5年目のスタートは臨床ではなく、駒ケ根訓練所でした。2か月半、駒ケ根で語学や国際協力について勉強し、6月末にドミニカ共和国に来ました。活動の中で、AKA博田法をどのように広めていくか試行錯誤しました。
 そして現在、6年目となりました。現地スタッフの一部にAKA博田法の基礎に則り、触診や関節の触り方、運動療法などを指導しています。また、AKA博田法をより多くの人に知ってもらうための計画が一つ進行中です。いずれ、いろいろな形で報告できればと思います。
 AKA医学会理学・作業療法士会に入会して5年が経過したわけですから、次の2月はAKA博田法の認定試験です。同期で受験する人もきっと何人かいると思います。私はその時、まだドミニカ共和国にいるので、遅れを取ることになりますが、追いつけるように頑張りたいです。

2012年3月30日金曜日

第47回理学療法士国家試験合格発表

 理学療法士の国家試験が今年は2月26日にありました。私はちょうど5年前に受験しました。その時も2月末だったと記憶しています。私と一緒に受験した人の数は7000人強でしたが、今回は12000人弱と、大幅に増えています。養成校の増加に伴う受験者数の増加です。
 合格発表は、私の時は5月でしたが、徐々に最近早くなってきており、今年は今日、3月30日が合格発表です。合格率は82.4%と去年(74.3%)よりは上がったものの、平成に入ってからの統計では2番目に低い合格率となりました。
 国家試験は、世に排出される理学療法士の質の維持と、同時に教育の質の維持、という作用をもたらしていると思います。養成校乱立時代があり、教育の質の低下に関して、みなが不安を抱きました。臨床や教育の経験が未熟な者が教員となっていったからです。また、少子化の影響も相まって、学生の取り合いも起こりました。近年、学生数が確保できず、募集停止に至った養成校がいくつも現れています。そんな状況で、国家試験という関門がもしなければ、理学療法士の質は低下し、信頼を失い、理学療法士を目指す若者はいなくなり、この資格自体がなくなってしまう危険があるのです。
 ドミニカ共和国では、この国家試験という第三者機関の評価がありません。理学療法士を目指す者は、大学の理学療法学科に入り、卒業と同時に理学療法士です。また学生の内から病院で働くことができますので、理学療法士と名乗っている学生もいます。(最近驚いたのは、私の配属先の現地スタッフのおよそ半分は大学を卒業していない、という事です。)つまり、学生教育の質が、そのまま理学療法士の質、延いては医療サービスの質に直結するのです。
 そして、教育の質はどうかと言うと、残念ながらWikipediaレベルです。同僚が大学に教えに行っていますが、wikipediaで講義準備を行っています。国家試験がないので、学生に低いレベルの教育をしても問題がありません。向上心も芽生えません。教育の質の低さが、理学療法士の質を下げ、その理学療法士がいずれ教える立場になる。
 それでも、ドミニカ共和国の理学療法士という職種が消滅しない原因はなんなんだろう、と考えてみました。おそらく、医師による治療の結果が悪い患者に、理学療法にいかせて、「後はあなたの頑張り次第」と言うためなんだと思います。事実、長期間の創外固定、整復ができていないピンニング、診断されていない脳障害、RSD、などの諦められた患者を多く見ます。そんな患者たちが理学療法でも何も良くならないと気づけば、もう医者の所にも理学療法士の所にも行かなくなり、忘れられてしまう。
 しかし、こちらの理学療法士の中にも、熱心に私の教えについて来てくれる人がいます。私がやっている事は、カリブ海に小石を一つ投げ入れるような、小さな事ですが、小さなステップから次のステップにつなげていけるようになればいいなかぁと思います。国家試験の話題から、大きく話がそれてしまいました。

2012年3月22日木曜日

レプトスピラ症


過去の流行地域
 レプトスピラ症とは、病原性レプトスピラの感染により発症する病気の総称です。重症型レプトスピラ症(ワイル病)と、軽症型レプトスピラ症(秋やみ)があります。
 病原性レプトスピラという菌は、ほとんど全ての哺乳動物に感染できると考えられており、感染後は、多くが保菌動物となります。レプトスピラは腎臓に保菌されることから、尿中に排出されます。保菌している動物の多くはネズミの仲間ですが、犬や猫、マングース、牛、アライグマなどからもレプトスピラは発見されています。これらの動物の尿を、直接触ったり、尿で汚染された土壌などに、間接的に触ったりすることで、我々人間にも感染する可能性があります。
 レプトスピラ症は、年間30万~50万人が発症していると推測されていて、温帯地帯よりも熱帯地帯に多いとされています。大雨や洪水後の集団発生や、稲作などに従事する農業関係者、下水道での作業者に多く発症しています。
レプトスピラの電顕像
 症状は、発熱などの感冒様の軽症型から、黄疸・出血・腎不全をきたす重症型まで、多彩な症状を示します。通常5~14日の潜伏期間を経て風邪のような初期症状が出て、重症型ではその後5~8日で黄疸等の症状が出始めます。初期症状が出て2週間ほどでさらに症状は強まり、出血が肺で起こると死に至ることもあります。黄疸を伴わない症例の致死率はゼロだが、黄疸を伴う場合は5~10%との報告があります。
 初期症状では診断が難しく、保菌動物との接触の有無、レプトスピラに汚染された土壌等との接触の有無、流行地域への渡航歴の有無などの申告が必要です。
 治療は、感染に対して抗菌薬を用いて、その他臓器障害に対しても治療も並行して行います。人から人への感染はありませんので、感染者を隔離する必要はありませんが、尿の取扱いには注意が必要です。
 今年に入って、ドミニカ共和国では、レプトスピラによる感染者171人、死者16人が確認されているそうです(大使館からの情報)。家にネズミが出る、という隊員仲間もいます。日本では関係なかった病気ですが、こちらでは気を付けなければいけません。レプトスピラ症だけでなく、デング熱マラリア、コレラなど、普段から注意していないと後悔してしまいます。

2012年3月20日火曜日

続ける理由を考える

止める理由は簡単に思いつく
 青年海外協力隊として、だけではなく、日本での仕事や勉強、習い事など、何に関しても言えることですが、「止める理由」を考えることは非常に簡単だと思います。ダイエットをしていても、「付き合いが多いから」とか「今日は仕事頑張ったから」とか。勉強していても、「今日はここまでにして、明日頑張ろう」。仕事に慣れてくると、「ここは手を抜いてもいいだろう」。止める理由を考える、というよりも、自然と思いついてしまいます。

理学療法士の場合
 反対に「続ける理由」を考えることは難しいことだと感じています。普段から考えていないといけません。「なぜ技術向上のために練習を続けるのか?」 今のままでも患者さんは文句を言わずに退院していきます。むしろ「ありがとう」と感謝されることもあります。それなら、もう今のままで十分ではないか、と練習を止める理由を簡単に作れてしまいます。しかし、実際は患者さんがより良い理学療法士と出会っていないだけだったり、患者さんが持っている能力を、患者さんに気づかれないように奪っていたりするのです。

ボランティアの場合
 私は現在、ドミニカ共和国にボランティアとして現地のNGOに派遣されていますが、このNGOにボランティア派遣を止める理由を挙げることは非常に簡単です。
  「ボランティアなしでも患者は来る」、
  「マンパワーもある」、
  「技術は日本レベルではないが、現地では受け入れられているレベル」、
  「理学療法の仕事が好きで、みな一生懸命働いている」、
  「ボランティア派遣にかかる費用や手間をなくせる」
などなど。
技術が低いことを放置してもいいかと聞かれれば、
  「基礎知識がないから教えられない」、
  「日々の業務で多忙で、練習できない」、
  「そもそも誰もそれで文句を言わない」
など。
 第三者が仮に視察に来たとしたら、「ボランティア要らないんじゃない?」という気持ちが自然と湧いてくると思います。だから、「続ける理由」を普段から真剣に考え、ボランティアの重要性を認識している私たちは、視察に来られた方に真剣にプレゼンテーションをするのです。真剣に私たちの話を聞いてもらえれば、きっと理解してもらえる話だと私たちは信じています。

相手を変える方法
 しかし、もし理解を得られなかったら、「聞く耳を持っていなかった」や「最初から否定的な気持ちで視察に来た」など、相手のせいにしてしまうことは簡単です。その方が、こちらも楽です。なぜなら、こちら側が変わる必要がないからです。しかし、私は、こちらの意見が伝わらなかった理由を、「説明が分かりにくかったから」なのか、「与えた情報が不十分だったから」なのかなどと考える必要があると思います。そうでないと、次に同じような事が起こり得るからです。
 専門学校時代の担任の先生に、「相手を変えるには、自分を変えないといけない」と教わりました。当時は実感が湧かなかったですが、今なら理解できます。

ネガティブに負けない
 続ける理由=ポジティブな意見、止める理由=ネガティブな意見、と読み替えることもできます。ポジティブな意見は、普段から意識していないと見つけることができませんが、ネガティブな意見は、自然と意識に上がってきます。真剣な人と無関心な人が話していると、真剣な人のポジティブな話が、無関心な人の否定的な意見につぶされることがよくあります。そうなった時に、相手のネガティブな意見を変えるために、自分をさらに磨くきっかけをもらえた、とポジティブになろうと最近、考えています。
 幸い、私の周りには、何事にも真剣な人が大勢います。これからも、自分にできること、すべきこと、やりたいことを真剣に考え、周りと意見を共有し、前に進んでいきたいと思います。

2012年3月3日土曜日

安全対策セミナー

 日本から安全対策調査団がドミニカ共和国にやって来て、昨日は首都、今日は私の住むサンティアゴで、安全対策セミナーが開催されました。これとは別に、年2回、現地JICA事務所が安全対策連絡協議会というものを開催しており、私たちボランティアだけでなく、随伴家族や専門家などの関係者が一堂に会して、安全対策について再確認しています。これだけJICAは安全に気を遣っている、ということです。
 私たちの安全をサポートしてくれているのは、今回来られたJICA本部の安全担当の方や、大使館の安全対策の方、現地警察の安全対策クラーク、そしてその方たちとボランティアを繋いでくれる現地JICA事務所の方々など、大勢です。私たちボランティアの活動が安全に実施できるのは、自分の安全に考慮した行動だけでなく、こうした多くの方のバックアップがあってのものです。様々な調査や過去のデータなどから、立ち入り禁止地区を設けたり、利用を禁止する交通手段があったり、など様々な安全対策を講じているからこそ、事件・事故が未然に防がれているのです。
 今日のセミナーは、訓練所でも学んだ内容ではありましたが、再確認し、身を引き締めるためのいい機会になりました。質疑応答も活発に行われ、日ごろ疑問に思っていることなどが解消された人もいたと思います。事故や怪我、病気なく任期を全うし、日本に帰ることが、日本で待っている家族や友人などを安心させる一番の方法だと思います。残り1年4か月、元気に過ごしたいと思います。

2012年3月1日木曜日

いつもご覧いただき、ありがとうございます。

 ふと、自分のブログを開いてみると、ちょうど20000アクセスを示していました。
 毎日、30~50人の人が最近はアクセスしてくださっているようです。嬉しいことに、「理学療法」と「国際協力」の二つのキーワードを入れれば、検索結果に私のブログが一番に表示されます。
 少しでも、理学療法士が日本を飛び出し、世界で活躍できるよう、さまざまな情報提供をここで継続していきたいと思っています。今後とも、みなさんよろしくお願い申し上げます。
 (ただいま仕事中のため、今日はこれで失礼します)

2012年2月28日火曜日

健康講座

ドミニカ共和国は2月27日が独立記念日で祝日です。よって多くの人が土・日・月の三連休です。私たちJICAボランティアは、遊びに行く人もいれば、仕事やその関係の用事で活動している人、ゆっくり疲れを癒す人などがいて、連休の過ごし方は様々です。私は連休の真ん中の日曜日に仕事のために首都に滞在していました。
 日系シニアボランティアの看護師Kさんの活動の一つ、「日系社会の健康講座」で、演者としての上京です。演者は他に大使館の医師Y医務官と、主催者のKさんでした。テーマは「肥満と生活習慣病」。病気や代謝の話を医務官が行い、健康管理のためのコツ・食事管理について看護師Kさんが話し、私が運動療法について説明しました。
 若い人の参加がほとんどなく、60~70歳台の方が多かったです。20数人来てくださいました。若い人の模範となるご高齢の方にももちろん大切な内容なのですが、これからの若い人に特に聞いていただきたい内容であり、次回、同内容をラ・ベガで行うときには、若い方にも来てもらえるよう、さらなる宣伝が必要だ、という課題が出てきました。
 JICAボランティアには青年海外協力隊(JV)、シニア海外ボランティア(SV)、日系社会青年ボランティア(NJV)、日系社会シニアボランティア(NSV)、短期青年ボランティア、短期シニアボランティアの6種類があります。現在、ドミニカ共和国にはJV、SV、NJV、NSVが派遣されています。日系社会の発展などにボランティアの能力を活かすのはNJVやNSVですが、職種は日本語教師とPCインストラクターと看護師のみです。日系社会の保健医療に関わる仕事に限るとKさんただ一人です。しかし、JVの中には理学療法士や作業療法士、義肢装具士、養護の先生がいます。同じドミニカ共和国に住む日本人として、JICAボランティアの枠組みを超えて活動することは、ボランティア自身にもドミニカ共和国に住む日本人・日系人にも利益になると思います。私自身は、プレゼンテーションのために勉強もしますし、発表法の訓練にもなります。対象者の方々にとっては健康に関する新しい、正しい知識を得てもらうことができます。
 今回の講座の開催は、JICAボランティアの枠組みを超えた、ドミニカ共和国では初めての試みでありましたが、参加された方は真剣に聞いていただき、しっかり体を動かしてもらい、質疑応答も活発に行われ、やって良かったと思いました。準備に大変な努力をされたKさん、講演の協力をしてくださったY医務官、前日に応援・励ましの電話を(なんと日本にいるので国際電話で)してくれた担当調整員の方、聴講に来てくださったJICAスタッフの方やボランティアの仲間のおかげであります。JVの私が日系社会での活動に入ることを受け入れてくださった日系人協会会長にも感謝です。周りの人たちに支えられ初めて、より良い活動ができる。出会いに恵まれているなぁと今回も感じることができました。

2012年2月17日金曜日

報告会

 JICAボランティアとしての活動を、JICAのスタッフや専門家、隊員などの関係者に報告する機会が、隊員一人につき2回与えられます。1回目は折り返し地点である1年(中間報告)、2回目は帰国直前(最終報告)です。ドミニカ共和国では日本語で行っていますが、他の国ではカウンターパートやその他現地の関係機関の関係者なども参加するので、現地語で行われると聞いています。年4回、報告会が開催され、参加は任意ですが、私は毎回、可能な限り参加するようにしています。
 ドミニカ共和国に到着してすぐの時に初めて報告会に参加した時は、今後、自分がどのように活動していくのか、先輩隊員の報告を聞いて想像したりしました。その約3か月後、語学訓練が終わって病院で活動を始めて少しして2回目の報告会に参加しました。この時は先輩隊員が1年を振り返り、初期の頃、どのような困難があり、どのように乗り越えてきたのか、その時の自分と照らし合わせて考えました。今回は3回目の参加です。活動を開始して半年の地点での中間報告会では、いままでよりも活動の内容を頭で吟味することができました。
 また、毎回思うのですが、発表の方法も人ぞれぞれ特徴があり、みな良い点を持っており参考にしたいものばかりです。視覚的効果を上手く用いている人、起承転結がしっかりしている人、人を笑わせて発表に引き込む人、動画と写真で見る人を飽きさせない発表をする人、など。そして、発表後の質問内容も勉強になります。単純に分からなかったこと・自分が興味あることを質問する場合もありますが、発表者の今後の活動にも繋がるキーワードをうまく誘導する質問をする人もいて、ナルホドと手を打つこともあります。
 私も約半年後には中間報告の時期です。1年間の活動を振り返り、折り返し地点に立っているという意識づけをし、今後の活動計画を立てるための非常に良い機会です。中間報告の日程はまだ分かりませんが、8月にあるラテンアメリカリハビリテーション医学界の学術大会での発表も目指しているので、その頃は非常にバタバタしてると思います。余裕を持っていろいろ準備していかないといけません。
 ちなみに明日は、今日の中間報告会に引き続き、最終報告会があります。2年間の成果をこれまで、みな堂々と発表してきました。そんな先輩たちに負けないよう、私も努力していきたいと思っています。

2012年1月31日火曜日

デスクワーク


 日本を離れて7か月が経ちました。ドミニカ共和国の病院で働き始めて半年です。ほとんど臨床をしていませんので、臨床を離れてから10か月になろうとしています。一生臨床家として生きていきたいと思っていた私にとっては、辛い日々でした。しかし、最近は少し考えが変わってきました。
 働きやすい職場を作るために、コーディネーターとしてシステム作りやスタッフの仕事管理も大切なんだと思ってきました。また、他部門との連携・連絡、他組織との協力などのネットワーク作りなども非常に重要だと感じています。これができる上司と、できない上司とでは、働きやすさ、働きがいが全く違うと思います。
 この役割を担おうと思うと、スタッフの働き方、熱意、人間関係などを把握しておかないといけないし、他部門と連携しようと思えば、その部門の業務内容、システムなどに精通していないといけないです。本気でこの役割を担うためには臨床を犠牲にしなければならない部分が出てくるでしょう。臨床がメインではなく下のスタッフの相談役になり、普段は管理者・教育者となる役割の人が必要かと思います。今の私の立場のように。でも今の私ではまだまだ力不足です。
 将来、看護師・保健師の資格を取り、そして公衆衛生学を深く学びたいと思っている私は、理学療法部門と看護部門の連携・協力体制の構築を将来行いたいと思っています。理学療法士は看護師の業務について知らな過ぎるし、その逆もまた然りです。双方を知り、お互いが働きやすい、そして患者にもっとも利益のある職場作りをしたい、と最近は考えています。
 なので、今やっているデスクワークの日々、案外、無駄にはならないのかも。

2012年1月9日月曜日

日系社会

カリブ諸国最高峰の山頂から。ご来光。
明けましておめでとうございます。

 戦後、日本政府が行った移民政策により、南米を中心に年間1万人の日本人が海を渡りました。中米の国、ドミニカ共和国にも249家族、1319人が1956年、ぶらじる丸に乗りサントドミンゴ港に到着しました。そのため、ドミニカ共和国には日系社会が存在します。
 しかし、この移民政策によってドミニカ共和国に移り住んだ日本人はみな、非常に苦しい生活を強いられました。事前に聞かされていた条件や環境と大きく異なった移住地だったのです。
  18ヘクタールの土地の無償譲渡のはずが、実際はその3分の1だった
  豊かな土地と言われていた場所は、農業には適さない土地だった
  (粘土質の地面や、塩を含む土地、深刻な水不足)
  土地の所有権は認められず、耕作権のみが与えられた
 などの悪条件により、夢と希望を持って移住してきた日本人は、自らを「日本に捨てられた=棄民」と考えるようになりました。2000年~2006年、移住者は国を相手に訴訟を起こすことになりました。

 「棄民」から「移民、日本人」になるために。

 この訴訟により、国の無責任な政策立案・外交が浮彫になり、国は移住者に対して謝罪、つまり責任を認めました。当時の総理大臣、小泉純一郎氏の談話で、「政府の当時の対応により移住者の方々に多大な労苦をかけたことについて、政府としては率直に反省し、お詫び申し上げます。」とあります。(全文←クリック)
 JICAはドミニカ共和国のドミニカ人社会の発展のために青年海外協力隊およびシニア海外ボランティアを派遣しています。そしてドミニカ共和国の日系人社会の発展のために日系社会青年ボランティアおよび日系社会シニアボランティアを派遣しています。
 私は青年海外協力隊ですが、日本人・日系人の力にもなりたいと思っています。自分の能力を発揮する場をドミニカ人社会に限定する理由はないと思っています。もちろん自分の職務は全うすることを前提としてですが。
 私と日系社会を結びつけてくれた日系社会シニアボランティア(看護師)のKさん(Kさんのブログ←クリック)という方がいます。(私のドミニカ共和国での母です。)来月、日系社会の健康講座のお手伝いをさせていただくことになりました。昨日、そのために、ドミニカ日系人協会の会長の所へご挨拶に伺いました。私のことを受け入れてくださり、今後も協力できることがあれば、協力していくことになりました。
 日本と同様、こちらでも日本人の高齢化が進んでいます。しかし、日本のように医療が発展しているわけではないし、アクセスが容易でなかったりもします。障害がある人には障害の治療を、ない人には長く健康でいてもらうための指導を、Kさんなど保健・医療に携わる人たちと協力して、(今は)地道にやっていきたいと思います。